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History of James Tyler Guitars



 1964年"ビートルズ"の大ヒットソング『Can't Buy Me Love』が全米のヒットチャートでNo1を獲得したころです。

当時13歳のジェイムス・タイラーが初めて手に入れたギターはフェンダー・デュオソニックでした。 それから今に至るまで、彼はギターと共に人生を歩んできました。
中学、高校時代でバンド活動をしている頃には、更に12弦のアコースティック・ギター、フェンダー・シェナンドーも手に入れました。
それから数年後、タイラーは『Chord Chemistry』等の著書があり、ロサンゼルス在住の全米でも著名なギタリストTED GREENE 氏よりギターレッスンを受けるようになり、多くの音楽を吸収していきます。 そのテッド・グリーンから1966年のブルース・ブレーカーズのアルバムを紹介され、そのエリック・クラプトンの素晴らしい演奏に大きな衝撃を受けました。 タイラーにとってそれは、今でも自分が覚えている最も印象的なギター・サウンドの一つだと言います。


 高校へ進学後、彼は興味本位で自分のギターを分解してみたり、組み込み直したり、改造を加えてみたり、塗装をやり直したり、と色々と試すようになり、ギターの基本構造と電気的な回路を理解するようになったのです。 そして、バンド仲間から頼まれればリペアーや改造が出来るようになっていました。

 大学時代には、建築学、デザイン、音楽、写真、そして、神学と多岐に渡る分野を貪欲に学びました。 そしてタイラーはその学費を稼ぐ為に、ローカルのギターショップでギターリペアーをしたり、アルファ・ロメオ、ランチア、BMW、フィアットなどを専門としたガレージで、カー・メカニックの仕事をしたりもしていたのです。
70年代後半に入ってからは、サン・フェルナンド・バレーにある『Norman's Rare Guitars』においてリペアー、レストアーの責任者となりました。
 その後、彼は頭角を表し、彼の技術力はたちまち評判となりました。 1980年に、タイラーは彼の最初の自分のリペアーショップをカリフォルニアにあるレセダと云う町にオープンしました。



 80年代は、ロサンゼルスの音楽とギター・シーンの最盛期でした。 ギタリスト達は皆こぞって自分のギターをモディファイすることに(車で云う、ホット・ロッドする事)夢中でした。
80年代の多岐にわたる音楽シーンから求められるギター・サウンドを、全てカバーする為に必要だったギター『スーパー・ストラト』という概念が出来てからは、それらのトーンを作り出す為に、当時のギタリスト達は、常に新しい回路やピックアップ・コンビネーション、そして様々なハードウエアー、コントロール・システムを自分たちのギターに貪欲に求めていきました。

 そして、L.A.スタジオ・ミュージシャンの全盛期が幕を開け、ディーン・パークス、ダン・ハフ、マイケル・ランドウ等がシーンに現れてきます。
 そのなかで、ベーシストのニール・ステューベンハウスは、スタジオ・ミュージシャンの中でもいち早くタイラーのアイディアと技術力に衝撃を受け、彼の仲間のギタリストやベーシスト達にタイラー・ギターを紹介していきました。 そして、タイラーはネックやボディーも含めて数々のパーツ、ピックアップを、当時のシェクター、フィル・クビキ、マイティ・マイト、更にはトム・アンダーソンのショップでつくられたカスタム・パーツを使いながら、プレイヤーからの希望に答えて、タイラー独自のカスタム・ギターとベースの製作を始めるようになっていきました。


 その後、ショップをノース・ハリウッドへ移し、ハイエンド系のギター、ベースそしてアンプなどを取り扱う、今で云う、ブティーク・ショップのハシリとなるショップを展開していきました。 そのショップは看板もショウ・ウィンドウも何もなく、知る人ぞ知ると云う感じで、"Either you know or you don't"と云うタイラーの、ミステリアスなキャッチ・コピーが始まりました。

 ショップの評判はまさに口コミだけでどんどんと広がり、ある日突然、マイケル・ランドウと、バジー・フェイトンがショップに来たり、当時のマイケル・ジャクソンのメガヒットアルバムの曲"スリラー"のリフをデイビッド・ウィリアムスがタイラー・ギターでレコーディングしていたりと、L.A.スタジオ・ミュージシャン達、ランドウ、バジー、ニール・ステューベンハウス、ディーン・パークス、ダン・ハフ、スティーブ・ワトソン、エイブ・ラボリエルという面々がショップに入り浸るようになりました。
 彼らはショップに来ては、タイラーの試作品やアイディアを日常的に試して、自分たちの楽器にそれらを導入していきました。 そして、ジェイムス・タイラーは次のステップへと進化していきます。



 タイラーのショップに集まって来た素晴らしいプレイヤー達と色々な音楽的なアイディアを共有し、その彼らが、コンサートやTVショウでタイラーが手がけてきたカスタム・ギターを演奏するのを見ているうちに、自身のブランドとしてのアイデンティティーとなるデザインを作るべきだと思い立ち、タイラーのロゴと独自のヘッドストックのシェイプのデザインに着手します。
 当時、彼のギターのヘッド・シェイプは、まだフェンダーのそれと殆ど変わらない様なものでした。

 その後タイラーがオリジナルのヘッド・シェイプとロゴを持つ事で、タイラー・ブランドとしての認知度も地元ロサンゼルスでは、少しずつ上がるようになりました。 またフェンダー社が自社のヘッド・シェイプを商標登録するに至った段階では、タイラーは既にオリジナルヘッドシェイプを採用していました。 タイラー・オリジナルのヘッドストックをもったスタジオ・エリート・モデルは、1987年のL.A.ギター・ショーで初めて公にデビューしました。

 タイラー・ギターの人気の最たるものは、ネックのシェイピング、ボディー及びネック・ヒールの独特なコンター加工等のオリジナルアイディアから生み出された、その演奏性能の高さ(マキシマム・プレイアビリティー)につきる訳です。 と同時に、彼独自のピックガード・デザインも、彼のヘッド・シェイプと同等にジェイムス・タイラー・ギター・ブランドのアイコンとして認知されていきました。


 翌年1988年、そのスタジオ・エリート・モデルは、スティーブ・ルカサーをはじめとする多くのL.A.セッション・プレイヤー達に注文されていきます。


 またその頃、タイラーは半分ジョークのようなプロジェクトもやっていました。 タイラーの常連の顧客の一人であるヴァンヘイレンのベーシスト(当時)マイケル・アンソニーに依頼されて、彼らのツアー用として、"ジャック・ダニエルス"のベースと"タバスコ・ソース"のベースを製作したのです。
 また時を同じくして、シェクター・ギター・リサーチUSA(当時)からタイラー・ギターの研究開発及びマーケティング、プロモーションのパートナーシップの提案を持ちかけられましたが、諸事情により実を結ぶ事はありませんでした。
 しかしながら、これらの事は、ジェイムス・タイラーの認知度がプレイヤー達の口コミだけで、ここまでに行き着いた証拠であるとも云えます。 所謂マーケティング、もしくは広告も一切する事もなく、タイラーの認知度は国内のみならず、国際的にも着実にのびていきました。


 シェクターとの短い関係が終わった後、現在のタイラー・ギターの所在地でもあるカリフォルニアのバンナイズ(ハリウッド、もしくはバーバンク、から車で約15分に位置する)にショップを移し、ギターの開発に更に没頭していきます。

 1991年には、マイケル・ランドウからのオーダーギターの製作途中で、半ば冗談から始まった"サイケデリック・ミット"のフィニッシュを手がけたのをきっかけに、タイラーの独創的なフィニッシュが将来的に実っていく事になります。
 同年、アルティメイト・ウエポンがデビューします。 この頃には、セッション・プレイヤーのみならず、ハードロックのプレイヤー達もこぞってレコーディングにタイラー・ギターを使っていましたが、彼らが実際の大型ツアーに出るときは彼らのプロデューサーからの意向で、もっとエッジの効いたルックスを求められ、アルティメイト・ウエポンのデザインが生まれた訳です。
 そして、ダン・ハフが1993年のジャイアントのツアーにそのモデルを持っていく事となります。

 ちなみに、現在でもアルティメイト・ウエポンのラインの中の一つで、ピックアップ及びコントロール・システム等の回路はスタジオ・エリートのままで、デザインはアルティメイト・ウエポンと云うモデルはその名残と云えるでしょう。



 1992年には、さらに幾つかの新しいモデルがリリースされました。 時代の流れ、流行の振り子はヴィンテージ、レトロへと流れていき、タイラー・ギターのラインアップにクラシック・モデルが加わりました。 同時に4弦、5弦ベースもリリースされ、ウィリー・ウィークス、エイブ・ラボリエル等から注文されていきました。

 1993年には、サンタモニカにあるカリフォルニア美術館が主催する、『カリフォルニアで生まれたギターの歴史』と銘打った"The Ultimate Guitar Show"へのギターの出展依頼を受け、カリフォルニアを代表するギター・メーカーである、フェンダー、リッケンバッカー、そしてモズライトやシャーベルと共にジェイムス・タイラー・ギターは出展されました。
 同年、マイケル・ランドウからの依頼を受け、バーニング・ウオーターを製作し大きな評価を得て、1994年以降レギュラーモデルとして発売していきます。 また、リミテッドの7弦ギター、ダン・ハフ・クラシック、そしてマングースがそれぞれリリースされました。

 1995年、エイブ・ラボリエルとのコラボで、やや細身のネックと新しいボディシェイプを持つベースをリリース。 又あまり一般には知られてはいない事ですが、タイラーはアコースティック・ギターの領域にも入り始め、いくつかのプロトタイプも製作しましたが、レギュラーのプロダクションにする事はありませんでした。
 この頃からインターネットが世界的に導入され、タイラー・ギターはさらに世界中からアクセスされるようになっていきます。

 1998年には、スタジオ・エリートHD、リード/リズム・スイッチのサーキットを搭載していない、よりレトロなサウンドを追求したスタジオ・エリートのバリエーションがリリースされ、同時にシュメアー・カラー・フィニッシュが開発されました。

 2000年には、20世紀の最後の年を記念して、バーニング・ウオーター2000、サイケデリック・ボミット2000をそれぞれリリース。 マングースとタイラー・バスターのミクスチャーと云えるハイブリッド・マングーバスターが発表され、その後、現行モデルのマングース・レトロとなっていきます。


 2005年、タイラーは長年の夢であり、プロジェクトでもあった自社製のピックアップを立ち上げ、ジェイムス・タイラー・エレクトリック社を興しました。 同年より、そのピックアップはタイラー・ギターに搭載されていきます。
 タイラー・バスターは生産終了。 更に、タイラーが新たなるコンセプトのもとに構想を暖めていたプロジェクト、『ジョー・エックス・ギターワークス』がジェイムス・タイラー傘下の新ブランドとして、日本においてのみ販売を開始したのです。

 2007年、ピックアップのバリエーションは6種類のシングルコイル、7種類のハムバッカーと更に充実していきます。 また、4年間にわたる構想を経て、ついに完成した『ラット・ギター』がジョー・エックスのラインに新たに加わりました。

 2008年、クラシック・モデルの生産終了。

 2009年、バーニング・ウオーター及びスタジオ・エリートHDの2機種のリミテッド・エディション2009を日本限定発売。



時系列で見るジェイムス・タイラーの歴史     by James Tyler
1972

ガレージにてリペアー・ショップをスタート。

1978

L.A.の、ノーマンズ・レアー・ギターズの専属リペアマンとなる。

1980

ジェイムス・タイラー・リペアーショップをL.A.にオープン。

1982

ディメーターのミッド・ブースト・プリアンプ内蔵のリード/リズム回路を開発する。

1980’s
L.A.のスタジオ・ミュージシャン達が顧客となる。
ノース・ハリウッドにギター、ベース専門のタイラー・ブティーク・ショップをオープン。

1987
タイラー・ヘッドストックをデザイン
ロサンゼルス・ギター・ショーにてスタジオ・エリート・モデルがデビューする。

1988
スタジオ・エリートのピックガードをデザイン
スティーブ・ルカサーのスタジオ・エリート"Puffy"を製作。

1991
カリフォルニア・バンナイズに工房を移転。
サイケデリック・ボミット・フィニッシュを開発
マイケル・ランドウ・シグネイチャーモデルを発表
アルチメイト・ウエポンを発表
ニール・スチューベンハウス・モデルを発表

1992
クラシック・モデルを発表
5弦ベース

1993
マイケル・ランドウの依頼で、バーニング・ウオーター1号機を製作
ダン・ハフのジャイアント・ツアーの為にアルチメイト・ウエポンを製作
カリフォルニア美術館主催のヒストリー・オブ・カリフォルニア・ギターズに出展

1994
バーニング・ウオーター
ダン・ハフ クラシック・モデル
マングース
7弦ギター

1995

エイブ・ラボリエル 5弦ベース

1997

ダブルネック・ギター

1998
シュメアー・フィニッシュを発表
スタジオ・エリートHDを発表

2000
バーニング・ウオーター2000を発表
サイケデリック・ボミット・2000を発表
マングーバスター・モデル、後のマングース・レトロとなる。

2004

スタジオ・エリート・レトロを発表

2005
ジェイムス・タイラー・エレクトリック社を立ち上げ、タイラー・ピックアップをスタート
タイラー・バスター製産終了
ジョー・エックス・ギターワークス製産開始、日本のみで発売開始

2007

ジョー・エックスのラット・ギターを発表

2008

クラシック・モデル生産終了

2009
バーニング・ウオーター・リミテッド・エディション2009 (日本限定発売)
スタジオ・エリートHD・リミテッド・エディション2009 (日本限定発売)

 
 


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